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こんにちは。
不登校を解決できた諦めない母です。

【不登校原因】不登校の子の親(母親)とは・・・!?

前回は不登校の原因として、父親も大いに関わりがあるというお話をしましたが、今日は、不登校の子の母親についてのお話をしてみようと思います。

不登校の母親に原因がある?!って一体、母親の何がいけないのでしょうか・・・?

子供が産まれ、母親(私)は子供をどのように育ててきたのでしょうか・・・?

そして、不登校を解決できた私にどのような事が起きたのでしょうか・・・?

【不登校】親(母親)について

私自信が母親にどのように育てられたのかは、『【不登校 原因】不登校の子の母親の母親とは・・・!?(不登校ブログ)』で詳しくお話しましたが、
【不登校 原因】不登校の子の母親の母親とは・・・!?(不登校ブログ)

独身時代の私は、人と関わる事が好きで、飲み会などのお出かけ、そして自分の洋服などにお金をかけ楽しい事をするのが好きな性格でした・・・

どこにでもいる女子であったと思います。

そんな私でしたが、子供が産まれてから恐ろしく激変してしまうのですが・・・

元々、赤ちゃんに持っていたイメージは・・・お猿さんのイメージで可愛いとはあまり感じていませんでした・・・

想像していた以上に痛い陣痛で死にそうになりながら、出てきた我が子を見た時は感動よりあまりの痛さで泣いていた私でしたが、よく見ると・・・

小さく可愛すぎる赤ちゃん

私は物凄い愛しさでいっぱいになってしまいました。

皆さんも我が子がとても可愛いと思われましたよね・・・?

毎日のように写真を撮り(写真を見ると・・成長の変化のない写真が多々あります。あまりの親バカさに友達に笑われた事があります。)

子供に物凄い執着していたと思います。

1人で何もできない赤ちゃん

私がちゃんとお世話してあげなくては・・・と思い、その思いは尋常ではなかったと思います・・・

・ミルクも決まった時間にきっちりあげる。
・オムツは妥協せずオシッコをしたら必ずすぐ取り換える。(夜中であろうがいつでも)
・掃除は毎日する。
・必ずお風呂は毎日入れるなど

そんな状態でしたのでほとんど気を緩める事はなく、日中も夜でも疲れて眠く自分が起きてるのか寝ているのかも分からないくらいでした。

子供に関するものは全て綺麗にと潔癖症になり、完璧にやらなくてはと思いが強かったと思います。

少なからずとも・・・一人目の子って分からない事ばかりで何かと心配になったり神経質になったりと大変ですよね・・・?

仕事をしなければならなく、あえなく子供を保育園にいれる事にしましたが、耐えられないくらいイヤでした。

自分の子供の世話を他人に任せる事が心が引き裂かれそうになるくらいイヤでした。

私は、子供が好きすぎて子供が何より誰より第一で、仕事が終わると猛スピードで真っすぐ保育園に迎えにいく母親でした。(5.6年保育園に行かせましたが、寄り道など1度もした事がないです)

私が迎えに行くと、とても嬉しそうに待っている子供が大好きでたまりませんでした。

でも、私は子供をどのように育てたらいいのかまるで知りませんでしたので、母親にいつも

と言われていたので、子供には何でも全てやってあげるのが当然であり、母親がやってあげなくてはならないと思っていました。

父親が子供の世話を上手くできない程、その傾向はどんどん強くなっていくのでした・・・

子供が着替えが遅いからと手伝い、忘れ物をしないようにと毎日持たせ、風邪をひかせたらいけないと夜は何回も起きては飛ばした布団をかけ直し、転ぶといけない、泣いて悲しい思いをさせてはいけない。

もう、全て先回りしては、やってあげていました。

過保護の見本のような母親だったと思います。

それでいて、子供が良くない事をすると子供の話もまともに聞かず、そんな事してはいけないと一方的に怒り、何かやるたびに口出ししてはやってあげと過干渉でもありました。

男の子って凄くやんちゃですよね・・・

そして、子供だから完璧に何でもできないですよね・・・

でも、そのような事も分からなく、ただ常識という枠に入れこもうとちゃんとやらせようと一生懸命だったと思います・・・

上記で書いた内容で分かる母親(私)の人物像は

子供を溺愛する過保護・過干渉な完璧主義者

であったと思います。

その頃は、旦那とも仲がよく、体力もあり誰とでも話ができる明るい性格でした・・・(しかし、母親に否定的に育てられたので劣等感は強かったと思います。)

しかし・・・旦那が遠くに行く仕事に変え、週に1度しか帰らなくなり・・・

家庭が崩れていったのです・・・

私は、いつも子供と2人でいてとても寂しい思いでした。旦那は疲れて帰ってくるので寝てるばかりで出かけれず、子供の話も聞いてくれず、うるさい母親がいて気晴らしになる事がなく、ただただ毎日我慢するようになっていきました。

職場を変えた時そこのフインキが全く合わず、家に帰ると母親がうるさく攻めてきてと、その毎日を過ごしていたら、私はどんどん精神的に打撃を食らっていきました。

身体におかしな皮膚病が出たり、頭が割れそうに痛くなり、計算ができなくなったり、片付けが出来なくなったり、人と話そうとすると吐き気がして話ができなくなり、ただ黙っているだけでも気持ち悪く不安になりと、今まで起きた事がない事ばかり起き始め、夜は悪夢をみては怖くて眠れずで耐えられませんでした。仕事は辞めました。

(病は気からという言葉を聞いた事があると思いますが、病気は心のストレスからやってきます)

不登校と同じ状況です。不登校は学校と家庭でストレスや問題がおきていての否定的な育てられ方。愛情、自信不足。

私の場合は、職場と家庭でストレスの板ばさみになり自信不足を引き起こし、否定的な育てられ方をされていて、愛情もどこからも流れ込んでいない状況です。

あまりに辛く××××と思うくらいでありました…

自分は一体どうなってしまったのか…

私はうつになってしまったようでした・・・

精神科のカウンセリングを受けても良くなる訳でもなく、安定剤や睡眠薬を出され1回飲んでみたものの、記憶がなく深い眠りに落ち怖くなり2度と薬は飲みませんでした。

(安定剤・睡眠薬等のお薬は体にとても負担がかかると思われますので、お子さんがもし鬱っぽかったとしても、病院に勧められたとしても、安易に飲ませない方が良いと思います。)

毎日のように、不安で気持ちが悪く地獄のようでした・・・

そのような思いを毎日毎日耐え続け、時間と共に少しづつ少しづつ良くはなっていきましたが、前のように楽観的に考えれる明るい自分に戻れる事はありませんでした。

だいぶ精神面が落ち着き、二人目の子を産んだのですが、心の奥はいつもどんよりしているのです。

子供が2人になり忙しくなり、産後の授乳などで上の子に中々構ってあげれずで、いたずらをしては両親に私も上の子も苦情の嵐を受け、それでなくとも1人で毎日2人の面倒を看ていて疲れているのに、苦情の嵐で更に心身がまいってしまっていました・・・

私の身体はどんどんそれから悲鳴をあげていきました・・・

いつも何もない所でつまずいたり、身体がいつも疲れがとれずどんどん動かなくなっていきました・・・

あまりのおかしさに病院で検査してみると・・・難病指定の膠原病になっていました。

私は精神的にやられる前は、全く病気と無縁でしたので膠原病って何?!という感じでした。

膠原病は治らない病気だそうです。ネットで調べてみたら…あまりに怖い事ばかり書いており私は一気にどん底に落とされてしまいました。

私は、いつまで生きてこの子達の傍にいれるのだろう・・・

うるさいばかりの両親と知らない顔ばかりしている旦那に子供を残していく事は私にとってありえない事でした。

私は授乳していたので、治療をする事を拒みました・・・

治らないのにたくさんのお薬を飲まなければならなく、その治療は2ヵ月も入院しなければなりませんでした。

私が子供達から1日でも離れるという事は私的には無理であり、1人目に授乳できなかったので2人目にはしてあげたかったのでそのまま家にいました。

自分の着替えさえもしんどく、心は身体が動かなくなり早く死んでしまうとどん底。

それでも、子供の世話、家事などやらなければならない事ばかりです。

しかし、どんどんどんどん体はロボットのようになり銅像のようになっていきました・・・

限界で入院しましたが、やはり治療に納得できず、子供が心配ですぐ退院してしまいました。

子供達の傍にいると退院して良かったと思いました。

私は死ぬ事はできない。

私は、必死に膠原病を治す方法をネットで探しました・・・

大阪の膠原病を治す漢方医にヒットし、半信半疑の状態で行ってみました。動かぬ身体で大阪までは本当にしんどかったです。

その漢方医は本物の医師であり、私の身体はどんどん動くようになりました。

私はその医師に普通の医師は教えてくれないような事もたくさん教えてもらいました。

膠原病は原因不明の病気と言われていますが、原因不明でもなんでもない。

病気というものは心のストレスが長期で続く事によって発生するものが多いのです。

私は毎日のように長期間ストレスばかりでとても大変でした。

ストレスは万病の元という言葉を聞いた事があると思いますが、その通りなのです。
(不登校で起こる頭痛・腹痛・胃痛などなどの症状も同じくストレスが関係していると思います)

私は、その医師によって価値観や生活が変わってしまいました。

その医師に心を治すよう教えをもらいましたが、漢方生薬で身体はどんどん良くなっていっても、心の治し方がいつまでもどうしても分かりませんでした・・・

心の奥はどんよりしたまま、時が過ぎていくのでした・・・

そして、数年後に上の子が体調を崩し不登校になってしまい、どんどん痩せていく我が子を助けたい一心で肯定的な言動を毎日毎日繰り返していると・・・

私の心の奥のどんよりは消え去っていたのです。

そして、頭の回転もとても良くなっていました。

精神的にやられてから何年も経ち・・・やっと私は自分自身を取り戻せたのです。

そして、鏡の子供も復活したのでした。

子供が不登校だという前にお母さん、お父さんは何か大変な思いをしていませんか・・・?

日々を楽しみ、自分を大事にする事はできていますか・・・?

親がしんどいと子供もしんどい思いがうつってしまう事があると思います。

お子さんだけでなくご自身の事も大切にして頂きたいです。

【不登校だった私の子の問題を解決させて学校復帰させた方法】